「天国は、ありますか?」

「天国って、あるの?」

ふと、そんな疑問を思ったことのある人は、多いのではないでしょうか?
しかし、真剣に考える時と言えば、
死が迫った時ではないでしょうか?

日本でも予測不可能な災害や事故、事件が起こっており、
いつ突然死ぬのか?わかりません。
ここに来たのも、神様のお導きでしょうから、
この機会に、一緒に、真剣に考えてみましょう。

死んだら、いったい、どうなってしまうのか?

聖書には書かれています。

黙示録
20:12また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。
かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。
これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
20:14それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
20:15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

マタイ
 25:31人の子が栄光の中に すべての御使たちを従えて来るとき、彼は その栄光の座に つくであろう。
25:32そして、すべての国民を その前に集めて、羊飼が 羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
25:33羊を右に、やぎを左に おくであろう。
 25:34そのとき、王は 右にいる人々に 言うであろう、
『わたしの父に 祝福された人たちよ、さあ、世の初めから あなたがたのために用意されている御国を 受けつぎなさい。

 25:41それから、左にいる人々にも 言うであろう、
『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている 永遠の火に はいってしまえ。
 25:46そして 彼らは 永遠の刑罰を受け、正しい者は 永遠の生命に入るであろう」。

私たちは、死んだら、私たちを創られた唯一の神様の前に、出ることになります。
そして、さばきを受けることになります。
永遠の生命か?それとも、永遠の火の刑罰なのか?
・・・どちらかになります。

「しわざに応じて、さばきを受ける」ならば、
「じゃあ、良いことをすれば、いいのか」ということになります。

ローマ
3:12すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。
善を行う者はいない、ひとりもいない。
3:13彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
3:14彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。
3:15彼らの足は、血を流すのに速く、3:16彼らの道には、破壊と悲惨とがある。
3:17そして、彼らは平和の道を知らない。
3:18彼らの目の前には、神に対する恐れがない」 


「善を行う者はひとりもいない」です。
私たちは、なんらかで神の前に罪、悪いことをしているものです。

「神への恐れがない」・・・真の神様を信じていない時点で、罪人です。

黙示録
22:3のろわるべきものは、もはや何ひとつない。
 神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し
22:4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
22:5夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。
主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

要するに、天国は、神様の御国なので、
真の神を信じなければ、入れません。

出エジプト記
20:3あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
20:4あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、
20:6わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

神は唯一なので、ほかの神を信じても、救いになりません。

むしろ、異なる神を拝むことは、真の神を怒らせる、偶像崇拝の罪になると、聖書には書いてあります。




そうすると、「天国に行くには、その唯一の真の神」を知る必要があります。


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ヨハネ10:9
わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

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