「牧者の心」 牧者に、主イエスは、問われる。 あなたは弱った者や病気の者の世話をしたのか? 訪問したのか? 気にかけた事があったのか?と。 それこそ、牧者の心、わたしの心。 健康な者ばかり集めて、楽ばかりしているのではなかろうか? 世話するどころか、世話をさせているのではないか? 弱い者たちを見かけないが、どうなっているのか? 「アベルは どこに いるのか?」 あなたの気持ちに反するので、アベルを排除するのか? 牧者のこころは、憐れみの心。 1匹の羊がいないなら、ダビデのように 熊からも救い出す。 どうぞ、虚栄ではなく、大勢の人を支配し名声を手に入れるためではない。 1人、1人に忠実で真実であってください。 大きな人数を求めるが、それは正しいことなのか? あなたがそれだけの人数の世話をできるなら、それは与えられるだろう。 しかし、量より質であることを知りなさい。 大勢の教会で行き届いてなく人々が悲しんでいるよりも、 小さな教会で行き届いているほうが、 自分の限度量をしっかりと把握して、怠り無く、忠実にしてくれているほうが良い。 過度な働きは、あなた自身を壊すだろう。 わたしは「あなたが教会が小さい」と思っていても、 しっかりと純粋なダビデのような牧者であることを望んでいます。 タラントのたとえのように、規模はどうであれ、 まずは忠実であるように。 現状、弱い者が教会にはいない。 どうぞ、弱い人を省みてください。 訪問し、悩み、悲しみを共有し、重荷を分かち合ってください。 人々に気をかける・・それが牧者の真髄です。 |