パン裂き〜聖餐式〜 教会では、クリスチャンたちで行う、「聖餐式(せいさんしき)」があります。 ・やる時期は、さまざま・・・ プロテスタントは、月1で行う教会が多いですが、 半年に1回という教会もあり、頻度は教会によって異なります。 個人的には、毎日やっている家庭もあります。 過ぎ越しの時で、充分という考えもあるかも知れません。 ※ただ、主の十字架の時は、やったほうが良いかもしれませんね。 過ぎ越しの時や、受難日など・・。 あるいは、毎週、金曜にやってる人も、いるかもしれません。 ・やり方 悔い改めを各自でして、その後、だれかが代表の悔い改めの祈りをします。 祈りの前か後に、パンとぶどうジュースが配られますが、 祈りの前に配られることが多いです。 パンとぶどうジュースが配られます。 ぶどうジュースは、100%のものが使用されます。 パンは、もともと小さく切ってある場合と、 1つのまるごとのパンがあって、皆で、ちぎっていくやり方もあったりします。これもさまざまです。 初期時代は、1つのパンを分けることに、こだわりがありました。 教会は、1つ体・・ですから。 普通の市販のパンか、パンが焼ける信徒が作ったりします。 でも、聖書のは、種無しパン、膨らんでいないパンです。 種有りだと、悪・・不純物が混ざっているという意味になります。 「種のないパンで、祝いをしようではないか」と書かれているとおりです。 なので、いつからか、パン種の無い、平たいパンを用いる教会が増えています。 私が行っているところも、パンは自家製の種無しパンです。 昔は、臨終の時にも、聖餐をしていました。 長老が死に際に行けない場合は、パンのかけらを渡して、使いが行き、 それを浸して(ブドウ汁に?)、食べさせるようです。 食べるといっても、かなり小さい、ほんのかけらだそうです。 ・由来 イエス様が行うようにと言われたので、行います。 使徒時代は、集まるごとにしていたようで、今の時代よりも 頻繁に行っていたようです。 (私もできるだけ、クリスチャン同士で集まる時は、行うようにしています。) 旧約聖書の時代、礼拝で「和解のいけにえを捧げる」という行為があります。 旧約の時代の礼拝の中心は、この牛などの捧げ物になります。 罪のためのいけにえ、捧げ物がありました。 新約の私たちクリスチャンの和解のいけにえ、罪のためのいけにえは、イエス様です。 では、どうやって、礼拝中に、旧約にあった罪の捧げ物をするでしょうか? それにあたるのが、「聖餐」です。 弟子たちは、会うたびにパンを割いていた、と聖書に書かれています。 集まるたびに、主イエスの犠牲、罪の贖いを聖餐によって、思い起こし、自分にも刻み、神の前に覚え、捧げました。 ・種無しパンの作り方
生地の時に、塩を混ぜても良いかもです。「塩気を保て」という教えや、契約の塩の象徴とか・・。 初期教会は、過越し復活祭の時、種無しパンと、塩とヒソプを食べていました。 |
昔の聖餐は、「愛餐(食事)」も含んでいたようです。
ルカ
22:14時間になったので、イエスは 食卓につかれ、使徒たちも共に 席についた。
22:15イエスは 彼らに言われた、
「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたと この過越の食事をしようと、切に望んでいた。
22:16あなたがたに言って置くが、神の国で 過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事を することはない」。
22:17そして 杯を取り、感謝して言われた、
「これを取って、互に分けて飲め。
22:18あなたがたに言っておくが、今からのち 神の国が来るまでは、わたしは ぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
22:19また パンを取り、感謝して これをさき、弟子たちに与えて 言われた、
「これは、あなたがたのために与える わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
22:20食事ののち、杯も 同じ様にして言われた、
「この杯は、あなたがたのために流す わたしの血で立てられる 新しい契約である。
1コリ
11:23わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。
すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
11:24感謝して これをさき、そして 言われた、
「これは あなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように 行いなさい」。
11:25食事ののち、杯をも 同じようにして 言われた、
「この杯は、わたしの血による 新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
11:26だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、
主が こられる時に至るまで、主の死を 告げ知らせるのである。
11:27だから、ふさわしくないままで パンを食し 主の杯を飲む者は、主のからだと 血とを 犯すのである。
11:28だれでも まず 自分を吟味し、それから パンを食べ 杯を飲むべきである。
11:29主のからだを わきまえないで 飲み食いする者は、その飲み食いによって 自分に さばきを招くからである。
11:30あなたがたの中に、弱い者や 病人が大ぜいおり、また 眠った者も少なくないのは、そのためである。
11:31しかし、自分を よくわきまえておくならば、わたしたちは さばかれることは ないであろう。
11:32しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と 共に 罪に定められないために、主の懲らしめを 受けることなのである。