霊とまことの賛美 ・真実な賛美 心から、そのとおりだと思って歌うこと。 歌っている事が本当であること・・ 「目を閉じて」と歌うなら、目を閉じます。 「手を上げる」なら、上げます。 ジャンプしてなら、ジャンプします。 理由があってできない場合は仕方ありませんが、できる場合は、しましょう。 ・歌詞 歌詞は、覚えられる賛美のほうが、自分の本当の言葉として歌えます。 本当の言葉の賛美として歌っていれば、 自然と口が大きく開き、お腹から大きな声で歌えます。 腹式呼吸です。 奉仕者レベルでも、口やお腹が動いてなく、 口の上のほうで歌っている事が多いです。 それは、本心ではないという事です。 本当にその通りだ!と思うなら、 自然に腹の底から、大きな声で、言葉や歌が出ます。 なんらかの理由でできない事もありますから、 無理強いはせず、自然にそうなるのを待ちましょう。 奉仕者は、お手本となる人なので、率先して、心から賛美しましょう。 心からの賛美、心を込めて賛美がしにくい場合、 手話の賛美は心がこもりやすいと思います。 手話も覚えられますし、 向き不向きがあるかも知れませんが、やってみてください。 ・自分の言葉の賛美 また、祈りは、自由に自分の言葉でできますが、 賛美となると、自分で言葉が出ないのは、不思議ですね。 例えば、「アメイジンググレイス」など、 既存の知っている曲のメロディーは、わかるでしょう? それに合わせて、祈りのように、自由に自分の言葉で賛美してください。 霊歌でなくても、既存の曲であれば、 自分で気持ちを、祈りや賛美にして、歌うことができます。 賛美礼拝中は、邪魔にならずに、そうしたいと思ったら、 自分の言葉で歌います。 邪魔になるようなら、控えます。 個人で、自宅で賛美する時が、一番良いかもしれません。 異言でももちろん、賛美できるでしょう。 ・霊歌の賜物。新しい歌の賛美礼拝 賛美の賜物者(霊歌者)が賛美していると、臨在が深くなります。 主は、賛美の中に住まわれる・・と聖書にあります。 「新しい歌を歌う」ことは、聖書に、当然のようにして書いてありますね。 私も、つねに、新しい賛美ができます。 聖書の賛美は、聖歌隊と会衆が歌い合っていた、 というスタイルだと、聞いたことがあります。 これも、即興で可能です。 もはや、楽譜はいらないでしょう。 霊歌者が、司会か、聖歌隊にいると導入しやすいです。 あと、奏楽者も、霊歌演奏ができる人が良いです。 奏楽者は、ピアノなどのメインの奏楽で、 例えば、賛美の間奏などで、主から示された曲を、即興で演奏します。 奏楽に曲が来れば、霊歌者が合わせて歌い、 逆に霊歌者に歌が来れば、霊歌奏楽のできる人(主からの曲が聞ける人)が演奏します。 賜物があるなら、瞬時に合わせるのは、可能です。 ・既存曲の賛美(ハモリ霊歌) 初歩的というか、基本的に、まずハモリ霊歌から入るかと思います。 もちろん、最初から即興でも良いですが、 たぶん礼拝の流れ的に、最初に歌う霊歌は、礼拝賛美曲の中で行われるはずです。 ハモリ霊歌は、普通の学習したハモリと違います。 逆に学ばないほうが、神からの音のヒヤリングが妨げられないでしょう。 知識のハモリは、教科書通りのハモリで、単調で、感動が無いです。 ハモリ霊歌は、私の場合、発声の直前に、音やメロディーが1節ずつ与えられます。 同じハモリではなく、高低中とバラバラで、1フレーズの間でも、それがミックスの場合もあります。 生き物なので、音楽知識ではできないハモリだと思います。 私の場合は、普通の賛美の曲から、どんどん発展させていきます。 まずはハモリ。主から高低の1音ずつの指示が来ます。 できるだけ、どんどん違うハモリをするように示される事が多いです。 1番と2番では違うハモリをしたりします。 そして、「幅広げ」をします。 「主よ あなたは 我が神」と会衆が賛美するとしたら、 「主よ あなたは〜 我が神」 (あなたは 栄光の) ・・という()の感じです。 賛美を妨げず、一致があるようにし、なおかつ先の段階へと、引っ張ります。 基本的に、支えである主旋律を軸に回りますので、 主旋律が弱い場合は、ハモりません。 主旋律が強く、第一のハモリが誰かが入れば、第二のハモリに入ります。 第ニも誰かがやっていれば、第三のハモリに入ります。 どこかのハモリが弱ければ、そのハモリをアシストするよう、聖霊様から示されます。 ハモリは無限大にありますので、どんどん行けるでしょう。 霊歌者の務めは、賛美の殻を破り、主の臨在を呼び寄せることです。 天国の賛美へと近づけて、主の御座を確立します。 ・霊歌の導入 たいてい、普通の賛美を歌い、できれば間奏を設けて、自由に祈ったり歌ったりできる時間を設けます。 霊歌が歌える人は、そこで歌います。 御座が確立したら、主が会衆に触れます。 ・数人の霊歌賛美 一人が霊歌を歌い出せば、霊歌を歌える人たちが加わってハモリます。 複数の即興賛美、霊歌です。 もちろん、なにを歌うか全員知らないですが、調和して歌えるはずです。 ・会衆全体の霊歌 霊歌を歌える人が、導きます。 会衆が歌えるよう、まずは簡単な霊歌を示し、歌わせます。 ハ〜レ〜ルーーヤ・・と簡単なのを繰り返させ、 霊歌者がハモるか、()のように言葉を添えていきます。 会衆「ハ〜レ〜ルーーヤー(聖なる) ハ〜レ〜ルーーヤー(全能者よ)」 会衆でも自然に自分で歌えそうなら、それぞれが自由に歌わせます。 ここまでくれば、会場・会衆の一致感、または、 主の臨在の畏敬、畏れが各個人に現れます。 自由な賛美が現れていない一致感(皆で主旋律を歌っているだけ)は、 一致していると思いやすいです。ここで言っているのは、それではないです。 同じメロディしか現れない場合、賛美の賜物者が不在です。 無理に事前に教科書どおりのハモリを学ぶのは、霊歌、自由な賛美とは違います。 違いは、霊歌を聴いて頂くのが一番良くわかります。 ・まとめ まとめますが、 霊歌ができなくても、普通、賛美に、主の臨在があるのは当然のことです。 毎回、主の臨在がある賛美は、最低限の目標にしてください。 もし、ないとすれば、なんらかの問題があります。 臨在が現れたら、深くします。 深さに比例して、泳ぐように、型にはまらない、譜面に捕らわれない自由な新しい賛美ができます。 自由でない賛美は、臨在は少ないです。 自由な賛美空間(単品ではない)ができたら、 主が個別に語られたり、触れられたりします。 主への畏敬の念と、感動が混ざった、不思議なザワつき感がその場にあります。 個別の取り扱いがあります。 この時点で、すでに主の御業が、複数その場で起きています。 |
1、すごい声量で歌える事に気づいた。 他の人より声量があるな・・と、いうのがわかりました。 2、賛美の言葉を確信を持って、本当のこととして、 情感、確信を込めて歌うようになった。 3、初歩異言の初歩メロディー。 初歩の反復異言をもらってから、初歩のメロディーが勝手につくようになりました。 メロディーと言っても、この時点では、言語化というのに気づいてないので、 歌と言えず、音階状態です。 4、ハモリ霊歌 礼拝賛美をしている時に、ハモリがわかるようになりました。 事前に調べたりとか、練習は一切なく、 例えば、はじめて聞く曲でも、ハモったり、コーラスなどができました。 5、たまに日本語の即興賛美が与えられる。 ハモリ霊歌の延長線上で、礼拝で賛美を数曲歌い、奏楽が自由になる時間に、 たまにオリジナルの日本語即興が与えられた。 もらう時に、けっこう待つ(待ち望む)ような感じがある。 6、いつからか、人が感動してくれる。5と同時期くらい。 涙を流したり、感動したと言ってくれたり、 「その霊歌の賜物はどうやってもらったの?」と聞いてきたり、 結婚式で歌の指名をしてくれたり・・。 自分が何も言わなくても、そうなります。 7、異言が言語に発展した時、 異言でも、はっきりしたメロデイーと発声で歌えるようになった。 既存の曲でも、即興でも、自由に異言で歌えます。 異言の即興賛美が、異言のように、自由に、いつでもできる。 8、日本語の即興賛美が自由。 6と同じ時期に、日本語即興で、はっきりした詩、しっかりした内容の 即興で歌えるようになりました。 以前よりも長く。 異言と同じく、歌おうと思えば、いつでも与えられるけど、 歌ってみないと内容、テーマやメロディー、曲調はわからない。 どんな歌か?は事前にはわからない。 ある程度、歌って、「あっ、今回はこういうテーマの歌なんだ」と理解する。 9、霊歌のハモリ霊歌ができる。 気づいたのが7、8と同時期。 他に即興賛美ができる人がそれまでいなかったので、気づくのが遅かったのかもしれない。 他人の即興霊歌に、即興で合わせられる。 W霊歌も、トリプルも、いくつでも、霊歌が歌える人がいるなら、 調和して、合わせられます。 即興賛美の弱い人が歌っても、メロディーを補正、補助でき、盛り上げられます。 霊歌人口が少ないので、いつか、会衆全員、既存曲ではなく、 即興で与えられる曲だけで、礼拝の曲を構成したら、 かなりの臨在があるのでは?と期待してます。 10、霊歌の会衆賛美 これは、まだ未来ですね。したことが無いです。 霊歌の賜物の無い人でも、霊歌の中にいれて、楽譜のない賛美礼拝をしたいものです。 そういうのに理解のある教会が無いもので。。 |