礼拝賛美の奉仕
皆で歌う礼拝賛美のやり方について、まとめてみました。
(ここで述べるのは、賛美歌を順番に歌う、伝統的な場合ではなく、
にぎやかな感じの賛美のほうのやり方です)

「教会賛美は、聖歌隊ではなく、会衆が主体」


いつからかバンドが多くの教会で取り入れられ、
前に数人の人がマイクを持って歌うスタイルになってます。
これだと会衆が「歌わなくていいのか」と、
どことなく歌う気がそがれるので、
マイクは、賛美司会者1人で充分だと私は思います。
(自分の声が聞こえないくらいマイクや音響がうるさいと、歌う気がなくなります。)
もし、会衆に主の歌が来ている場合、つぶされてしまいます。
霊歌的な賛美の礼拝の場合は、各自の声が聞こえるようにしたほうが良いです。

広い所でなければ、マイクなくても声が通ります。
クリスチャン数人いれば、声も聞こえるはずです。
マイク無しで一人で歌っても聞こえないくらいの賛美って、
あんまり賛美の本気度が感じられません・・・。
体が弱っていて元気の無い人ならしかたないですけど。
まず、司会者、奉仕者が「大きな声で、主旋律」を歌うのは、基本です。

賛美で、会衆が歌ってないのは、問題です。
歌わせないようにする環境は、もってのほかです。
会衆が歌いにくい環境じゃないか?どうか、チェックしてみてください。

・歌詞
歌詞表示が遅いと歌えませんので、表示係りを早くできる人か、
または違う手段にしましょう。
広い所だと、スクリーンに映しても、後ろの人が見えません。
前の人の頭とかで。
そういう場合、歌詞を印字したプリントを、配布しましょう。


・賛美の司会者の役割
礼拝の賛美司会者は、会衆の賛美を導く者です。
全会衆が歌えるように導き、
主に捧げ、全会衆を主の臨在に導きます。


参考までに、賛美の賜物のある教会は、
司会者は歌わずに指示だけ出していても、賛美が盛り上がります。
奏楽なくても盛り上がります。
設備が全くなくても、素晴らしい賛美をすることは可能です。

・会衆を叱らないように・・・
賛美が盛り上がってないと、
「声が小さい!」と会衆を責め始める教会もありますが、
何も言わなくても、会衆自身が自然と踊りだせるような、
喜びに満ちた賛美を、導いてください。

まずは司会者がお手本となるように。
それか、上手にリードできる司会者を探してください。

また、どうしても会衆が賛美しないなら、歌えない理由があるかと思います。
選曲に問題があるかも知れません。
テンポが難しい、キーが合わない・・など。

疲れている、病気や傷ついている等、
あるかと思うので、その場合はムリをさせずに、
回復まで待ちましょう。

もともと歌が得意でない人たちが集まった・・というのも、あるかも知れません。

そうしたら、歌(賛美)以外に、賛美を何かで表現できるものを、取り入れます。
手話とか旗とか手拍子、楽器など、歌以外にも、賛美の表現はあります。


・歌の指示を出す

司会者は、あらかじめ決めている歌のサインを出します。
「1番」「2番」「繰り返し」「次の曲」「終わり」「転調」「間奏」
教会によって、サインの手の形は、さまざまです。
奏楽、歌詞表示者、会衆に出します。
基本的に、歌詞表示者、会衆への指示は、一緒に出せます。

皆で歌うのだから、会衆に向かって、自分が歌うのは後にして、
「1番」、「2番」「くりかえし」と、面倒でもいいから言います。
賛美司会者は、リードを上手にしていれば、歌わなくても大丈夫です。
皆が歌っていれば・・ですが。
皆が歌ってない場合、なにか歌いにくい問題があると思います。
皆が歌ってない場合は、率先して歌います。
一人で堂々と喜んで賛美するくらいの気持ちで歌いましょう。
会衆が知らない曲の場合も、率先して歌います。

サインは、会衆に出さなければ、身内だけの賛美になるでしょう。
会衆は、歌詞が1番と繰り返し部分がある場合、
1番にまた行くのか?繰り返しか、わからないからです。
指示がなければ、会衆が次の歌いだしに気づかないし、間に合いません。

例えば、司 「主よ、あなたは〜」
会衆「よ、あなたは〜」
司 「いつも〜」
会衆「もぉ〜」
・・という風になってしまいます。

・サイン
サインは各教会で違いますが、こういう方法があります。
サインは、片手を高く挙げて出します。
奏楽者に向けて出しても、会衆は見えると思います。
「1番」「2番」「3番」・・のサインは、
指で、1、2、3、と表現します。
1番なら、片手で1の指をして挙げます。

繰り返しの指示は、片手を挙げて、「コ」の字にします。
転調は、片手の平を挙げて、下から上へ返します。
だんだん小さくは、片手を下げて、ヒラヒラとふります。
終了は、片手を下げて、グーをします。

最後をゆっくり、タメて終わる場合、
「えぇーーいこーーーうあ〜〜〜れぇ〜〜〜〜・・」みたいに、
オーケストラのような盛り上がって終わる場合、
指揮者のように指揮をして、その流れのタメに合わせて、
主に栄光を捧げるように、盛り上げて終わります。


・選曲
事前に祈って、テーマや流れをあらかじめ決める司会者が多いです。
事前に牧師に聞いて、説教のテーマに合わせたりもします。

公の場での賛美は、未信者や初めての人でも歌えるような、
簡単な曲で、長すぎないほうがいいです。
そういう人も歌えたほうが、心開きやすいでしょう。
基本的に、早い歌は、気持ちを込めにくいです。
会衆、皆が歌ってこそ、主の臨在が濃くなり、
御業が現われやすく、一致も起きやすいです。
教会単位の大きな油注ぎが必要なら、
会衆全員が、心を込めて賛美できるよう
努めます。

最近、難しい賛美が多いです。
「タンタンタン、タタタッタッタタタタ・・」
字数多く、リズムがいきなり1箇所だけ早くなるヒネリがあり、テンポ自体も早いです。
いきなりそんな曲は、覚えられません。
長くて、字数が多く、テンポ早い曲・・・。
会衆賛美でなく、ゲストとして歌う分には良いでしょう。

会衆賛美は、だれでも歌えるような、臨在のある曲を選びましょう。

基本的に、似たコードでつないでいき、転調したりして、
あと自由に、会衆が霊歌を歌える(歌えない人は、祈る)時間があると、
主の臨在が深まるし、御業が起きやすいです。

・賛美曲の臨在

歌う時に臨在が来たりしますけど、
もともとの楽曲や詩自体に、臨在の力があるものがあります。

聖霊によって与えられた賛美曲は、力があります。
そういう曲を選曲すると、臨在がより深くなりやすいです。


・聖歌隊、または賛美隊
大きい教会でなければ、そんなにいらないと思いますが、
大きな集会などで必要であれば、歌の賜物のある人が、たいてい奉仕してます。

歌の賜物があるかないかは、その人の歌を聞けばわかります。
油注がれた人の歌は、とても感動的で、力強く、歌声に臨在があります。
いなければ、主旋律をしっかり歌える人が、1人いれば、充分です。

あまりぞろぞろ前に人がいるのは、気が散ります。
会衆の真正面にいると、聖歌隊を崇拝しているのか?と歌う気を無くします。
できれば、横か、席の最前列、または、一番最後、
または、分散して配置したほうが良いでしょう。

前に出ている人は、アーティストっぽい格好は、やめたほうがいいです。
会衆が見た途端、「勘違い?」と気が引いてしまい、
その人を崇拝しているようで、主への賛美の気持ちがそれます。

曲を覚えてない、曲を知らない人が奉仕している事がありますが、
前にいて、マイク持って立っているだけなので、それは意味が無いです。
とても可哀想なので、「人がいないから」と言う、奉仕の強制は、やめましょう


・表現
盛上げ役は、たとえば、ダンスや表現(歌っているしぐさ)などで、主の臨在を現せる人です。

よく、一般歌手がライブでするような、
自分に一身に栄光を受けようとする動作は、やめましょう。
神への賛美、主に捧げるものです。
そのつもりはないにしても、そう見える仕草があると誤解され
見ている会衆の気持ちが引いてしまうので、
主の臨在が来にくくなります。
多くの会衆の心を捧げるのが、礼拝です。


・賛美の自由化
賛美の自由化共通化が必要だと思います。
教会によって、同じ曲なのに歌詞が違ったり、ヒネリが加えてあって、歌いづらいです。
ノアさんの賛美自由化は素晴らしい働きで、用いられています。
こういう活動がもっと増えて欲しいと、多くのクリスチャンは思っています。

賛美作成者が、あらかじめ、利用規約で、礼拝配信の賛美はOKとか、
掲げてあげると良いのでしょうが・・・。

・大音量の賛美と難聴
最近、若者系の賛美で、ロックの大音量でやる教会もあります。
そういう音楽の趣向は、好みが分かれます。

ニュースでもやっていましたが、大音量だとそのうち難聴になります。
音響外傷」という障害です。
癒すはずの教会で、障害を起こしては、たまったもんじゃない。

大音量でイヤホンで音楽を聞いたり、
大音量に囲まれて歌う歌手が難聴になる・・というニュースがよく報道されます。
聖書では、「蒔いた種は刈り取る」とあります。

医者によると、若いうちは発症せず、
30、40代の歳を取り始めた頃に、急に、10代くらいに無茶して聞いていた大音量の分が
難聴となって返って来る・・とニュースで言っていました。
最近では、10代でも発症しているようです。
当事者で、大音量を好きでやってる分にはいいかもしれませんが、
教会の礼拝出席して、好きでもない大音量を我慢した挙句、
肉体が衰え始めた時に難聴になっては、たまったもんじゃありません。
不必要な大音量は、聞く力を衰えさせます。

バンドより、シンプルなピアノなどのほうが安全です。
電子音より、マイク使用より、そのままの自然な、
神が与えたナチュラルボイスの賛美が安全でしょう。


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