★ 教会の献金 ★

基本的に、献金は、その教会を支えるものです。

礼拝中、賛美中にやったり、説教後にやったり、タイミングはさまざまですが、
献金の時間があります。
基本的に、献金はしたい人がするという自由な方針で行っています。

教会によって捧げ方が違います。
1、各自に1枚ずつ封筒を渡されて、係りが回収
2、献金を入れる袋、または箱が回ってきて、その中に入れる
3、前に出て、置いてある箱か、係りが持つ箱に入れる
・・などがあります。
たいてい賛美を歌っている間に献金します。

1は、封筒1枚ずつ用意しないといけない、
2はラクですね、
3は、移動するので、皆、賛美は歌えない、歌いづらいですね。
それぞれ、教会のやりやすい方法でやっています。

★ 自由献金制のススメ ★

私は礼拝中に献金の時間が必要か?と思います。
献金箱を設置して、礼拝以外の時間に、捧げてくださる人が自由に捧げるのはどうでしょう?
鍵のかかった事務室や牧師室にポストみたいな口を取り付けて、
そこに投函できるようにすれば、安全です。
時間を、礼拝中と限るのもどうなのか?と思うし、
捧げたい時に捧げられると良いですよね。
今はネットもありますから、ネットでも受付けられるようにすると、
幅も広がるし、教会外の人からも献金があるかもしれない。

あと、給料は月1だから、週1(または周2〜9とか)ごとの礼拝のたびにするのはしっくりこないし、
取り立てられているような気分になる人も多いです。

給料に合わせた月1のほうが、「捧げた!」感が出て、気持ちが伴いやすいでしょう。
昔は、日雇いとかがありましたから、そういうのだと週ごとでもしっくりくると思います。

日曜日の朝、昼、夕、夜で礼拝出たら、
日曜だけで、4回、献金あります。
さすがに枯渇しちゃいます。
礼拝の奉仕があるから出なきゃいけない・・。
さらに、平日も祈祷会など、いろいろあります。
すごく、こまごまと献金の機会が、あり過ぎませんか?
聖書の時代よりも、こまごまと、捧げる機会が多い気がします。
ギリギリの生活をしている人は、給料前は厳しそうです。

たとえば、奏楽などの奉仕者は、自分しかピアノ弾けないと、ほとんどの礼拝に出るでしょう。
頑張って奉仕した上、それでどんどん取り立てられます。
献金は自由だから、しなくてもいい・・なんて、わかってるでしょう。
しかし、クリスチャンとして、献金袋が回ってきてしまうと、
捧げないと悪い」ような気持ちになります。
捧げたくなくても、献金の機会が回ってきたら、
やらなきゃ!という自動的に強迫観念が働く心理があります。
「神様のため」という名目に隠された、お金の取立て。

中には気づいて、無理しないで、と声をかけてくれるメンバーもいますが、
知らないうちに、心理的に、プレッシャーはかかります。

★ 献金をしたくない場合 ★

上記のような人もいるわけで、
したくなければ空の封筒を戻してもいいし、
しないと恥ずかしいという人は、祈って気持ちだけ捧げて、したふりをする人もいます。
とりあえず1円や10円の少額を捧げる人もいます。
私は普通に、できない時はしなかったりします。
財布忘れる人もいたりするから。(笑)

★ 献金の祈り ★

献金の時に、指名されたメンバーか、牧師が、たいてい祈ります。
礼拝の時には祈りますが、礼拝以外の時間で出された献金は祈らない事があります。
教会の方針や、忙しかったりもあるでしょうが、基本は、祈ってみましょう。
祈ってもらえなければ、自分で、渡す前に祈るのも手です。

で、祈る内容に困る人もいるようです。
よくあるのが、説教後であれば、説教の内容から祈ったりします。
献金自体の祈りは、ごくわずかなことが多いです。
「神様、この献金を清めて、神様の御用のためにお用いください」の一言だったりします。

献金の種類は、他に会堂献金、感謝、請願、牧師への献金があります。

「父なる神様、神様が私たちに与えられたお金の中から、感謝して、捧げます。
どうぞ、私たちの心と共に受け取ってください。
この捧げられたお金を、イエス様のお名前で聖別します。
これはあなたのお金ですから、主の御心どおりに正しく用いられ、
あなたさまが祝福してくださり、大きな実、成果となり、
主にふさわしいご栄光が現れる捧げ物としてください。
捧げた方々の上にも目をとめてくださり、
祝福を注いでくださり、常にともにいてくださるようにお願いいたします。
イエス様のお名前でお祈りいたします」

献金した人にとっての求めている祝福って、神様ご自身だと思います。

献金の祈りとか献金の話をする時って、ダイレクトに「お金」と言うのを避けて、濁す傾向があります。
もっとはっきり「お金」と言ったほうが、クリーンに聞こえて、良いと思います。


★ 教会運営費 ★

教会の運営に、何が必要か、どのくらい額が必要か?、
教会員は知らされていない事が多いです。
知らないと、必要の大きさがわかりません。

共同体であるなら、必要額を公表すると良いでしょう。
理由を言ってくれたほうが、人々は、協力しやすいです。

礼拝自体にお金はかかりませんし、無料でできたりします。
人数が多くて、大規模であれば、それだけ人がいるので、
それなりの金額が集まるでしょう。
ただ、日本は、人数の多い教会は少ないです。
小規模なら、マイクもバンドも土地も必要ありませんので、
そんなに必死になって、取り立てなければいけない・・ということはないです。

人数が少ないうちに土地を所有すると、身の丈に合っていないので、破綻します。
土地を買うと、建物も買うか、建てることになり、さらに維持費、修繕費などかかります。
50年ごとに建て直す必要があったりします。
ある程度、人数がいて、それでも集まらなければ、
事情を話して、承諾してくれる人たちには、会費制にする事もできるでしょう。

牧師さんや献身者の給料の支払いが足りない・・という場合は、
献身者は基本的に、困窮覚悟で献身をしているので、
足りなければ、自分で働いて、神にすがって、なんとかするでしょう。
教団から給料が出ている場合もあります。
教会から給料が出ている恵まれた献身者は、
クリスチャンが少ない日本では、あまりいないでしょう。
むしろ、働いて、自分の生活費+教会の必要経費を稼いている献身者もいます。
本当に献身的に奉仕されて、時間がなければ、上記に書いたように、
説明をして、承諾してくれた人たちには、会費制にするという手段でしょうか・・。

★ 聖書の献金 ★

下記は、自由献金についての箇所です。
この聖書の箇所は、使徒時代、エルサレムの教会が経済的に困窮しており、
助けるための献金の呼びかけの文章です。

2コリ9:5-8
そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。
どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

基本的に、教会や働きは献金で成り立っていますので、
献金して頂けると、その教会や働きは、助かります。



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