初代教会の様子


使徒時代の教会とは、どのような教会構成だったでしょうか?
聖書では、手紙に少し書かれていますが、
あとは、初期教会形成の過程や構成の昔の記録・・「教会史」などで、知ることができます。
現代教会と違ったりするので、まずは、どんな感じだったのか?を書きます。

「使徒教父文書」、「教会史 上下」エウセビオスは、初期教会の信仰や考え、状況を知ることができますので、
ぜひ、読んでみてください。

★ 地域監督 1名
教会管区というのがありました。
その地域に、1人の監督が任命されます。
高齢で、後継者を育てる時などは、例外で、2人いたこともあります。
主の弟で、義人と評判の高いヤコブが、使徒から任命を受けてなりました。
聖職受任式に必要な監督は、3人。

1テモテ
3:1「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。
3:2さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、
3:3酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、
3:4自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。
 3:5自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。
3:6彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。
そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。
3:7さらにまた、教会外の人々にも よく思われている人でなければならない。
そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。  
 1テモテ
 3:8それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、
3:9きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。
3:10彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったなら、それから執事の職につかすべきである。
 3:11女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。
3:12執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。
3:13執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう。

どこかの監督がおかしな事を言い出すと、他の監督たちが集まってきて、
平信徒の前で、会議を開催します。記録も、とられます。
それで、新しい監督が派遣されたり、悔い改めた監督は、平信徒として受け入れられたりしました。

監督の中に、使徒の座というのがあり、
使徒職も継承されていたようです。
「アンテオケの監督の座は、カエサリヤの監督よりもはるかに影響力のあるもので、使徒の座の1つ。」と、
書かれています。

★ 教会管区
教会管区は、監督(司教)の裁判権が及ぶ、教会行政上の地域のこと。
パウロが、手紙で、「内部で裁けるような人がいないのか?なぜ外部の人に持ち出すのか?」というのは、
監督に任せられているから。
しかも、パウロは、「なぜ、不正をも甘んじて受けないのか?」と教えていますね。
リーダーたちが、信徒から苦情が出た場合、
初期教会のリーダーは喜んで、その地位を下りると、記録に書かれています。
「私が職を下りることが望みなら、そうします。ただ、教会に一致があるように」と、
そのくらい、愛に溢れていました。

★ 教会の構成 ★
初期教会は、使徒たち→監督たち→長老たち
牧者というと、上記の人たちを指して言ってたりします。

テトス
1:5あなたをクレテにおいてきたのは、わたしがあなたに命じておいたように、
そこにし残してあることを整理してもらい、また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない。
 1:6長老は、責められる点がなく、ひとりの妻の夫であって、
その子たちも不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者でなくてはならない。
1:7監督たる者は、神に仕える者として、責められる点がなく、
わがままでなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、
1:8かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、自制する者であり、
1:9教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。
 それは、彼が健全な教によって人をさとし、また、反対者の誤りを指摘することができるためである。

現代教会のように、牧師の一本柱でなく、
上に権威階級がありました。
1つの教会ではなく、地域ごとに分けて、管理していたようです。

役職の人々は、「教会史」によると、聖書に卓越し、精通していることが条件です。
たとえば、その時代、異端が多くありましたが、それらすべてを把握し、どこがどう間違っているのか?を
聖書から、論破する必要があります。

あとは、手紙に書かれているように、徳のある・・品性のある人たちでした。
そして、やはり、神の賜物・・力あるわざを継承していました。
ただ、皇帝ごとに続いた迫害により、
リーダーたちから捕らえられ、拷問、殉教するので、
力ある御業を行なえる人たちが 地上からいなくなり、
その力が失われていったようです。

ローマ教会では、長老46人、執事7人、副執事、42人の待者、総勢52人の祓魔師(ふつまし)、読師、門番
1500人以上のやもめや困窮者がいました。

神から与えられた賜物が、その人の奉仕の場になります。
エクソシスト・・悪霊払い、悪霊追い出しの賜物者は、確実に追い出しができたと言います。
預言者は、預言の賜物を継承し、周囲から認められるようです。
記録によると、将来の出来事を予知し、幻を見、預言者のように語ったそうです。

★異端者の追放
現代教会は、牧師に従わない、リーダーに従わないだけで、追放したり、サタンの子扱いするが、
初期教会はそうではなかった・・・。

初期教会は、異端に対してだけ、そのような徹底した扱いでした。
使徒ヨハネが、エペソの浴場に来た時、中に異端者がいて、
「さあ、早く逃げろ。異端者ケリントスがいるから、浴場が崩れるぞ!」と入らずに、飛び出していった、という。
当時の異端は、キリストの受肉否定や、自分がキリストだとか、聖霊だと言い出したりする者がいました。

従わなかっただけでは、追い出したりしない。
逆に、追いかけるよう、教えている。
「従わない」と言っても、じゃあ、どんなヒドイことをしたのか?というと、
たいてい、仕事や用事などで、スケジュールが教会と合わないだけで、
現代教会は、使徒時代の異端者と同じ扱いをします。

使徒時代は、そういうことはなく、強要はしない、
愛による一致、
やり方は、それぞれ好みがあるから、
それを強要しない方針でした。

もし本当に、困り者がいたとしても、使徒教父文書には、「困り者こそ、愛せ」とあります。
これが、初期教会の真髄です。


★愛の使徒ヨハネ・・
主イエス様の教えの一匹の羊の実践


ある時、使徒ヨハネは、教会の監督と、1人の美しい若者を見て、
監督に、「この者を、あなたに委ねる。教会とキリストを、証人として」と告げ、
監督は、洗礼までは、その者を家に引き取って、面倒見たが、その後は、ほっといた。
若者は、悪者に誘惑され、盗賊団のボスになった。

ヨハネがしばらくして戻り、「預けものを返すよう」監督に求めた。
監督は、「若者は、神の前に死んだ。盗賊団のボスになった」と告げた。
使徒ヨハネは服を裂き、「私が兄弟のために残したのは、立派な保護者だったのに。
馬と案内人を貸してくれ」と、すぐに出かけた。

ヨハネは、盗賊団のボスに会うと、ボスは逃げ出したが、ヨハネは、年も忘れ、全力で追いかけて叫んだ。
「なぜ逃げるのか。私は丸腰で、年老いたおまえの父だ。子よ。私を憐れんで、怖れないでくれ。
おまえには、まだ命の希望がある。私は、おまえのために、キリストにとりなそう。必要なら、おまえのために死ぬ。
主が、私たちのためにそうされたように、おまえのために、私の魂を与えよう。止まって、私を信じよ。
私を遣わされたのは、キリストです」

彼は立ち止まって、武器を投げ出し、激しく泣いた。ヨハネは抱擁し、嘆きの声をあげ、一生懸命に釈明した。

教会に連れ帰り、祈りでとりなし、一緒に断食し、慰めの言葉で、彼の心を穏やかにした。
本当に彼が再び教会に戻るまで、彼から離れなかった。



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