地域教会(地方教会)


・教会の定義

一般に、現代で「教会」と言うと、それぞれの地域にある建物を指す・・というイメージが強いです。
しかし、クリスチャンなら、新約聖書が書かれたギリシャ語原典の「教会」という単語が、
エクレシヤであることを、たいてい知っています。
それは、クリスチャンたちを指します。

要するに建物ではなく、信徒たちです。
建物がなくても教会だし、ネット上での交流も、教会と言えるでしょう。

しかし、ここでは、「地域教会」について、述べます。

現代の教会の問題が、指導者による威圧や支配です。
イエス様は、仕える者になるように、要求されています。

ルカ
 22:24それから、自分たちの中で だれが いちばん偉いだろうか と言って、争論が 彼らの間に、起った。
22:25そこで イエスが言われた、
「異邦の王たちは その民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは 恩人と呼ばれる。
22:26しかし、あなたがたは、そうであってはならない。
かえって、あなたがたの中で いちばん偉い人は いちばん若い者のように、指導する人は 仕える者のようになるべきである。
 22:27食卓につく人と 給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしは あなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。

この聖句は、大事な時、過ぎ越しの食事の場面で語られました。
いかに重要か?が、主イエスの想いが、わかるでしょう。

支配階級のある教会は、主なる神様の教会ではなく、
その支配者・・たいていは牧師で、牧師教になっています。
下につけたがるリーダーや、従わせたがる教会は、要注意です。
そういうピラミッド型の教会ではなく、逆ピラミッド型が、本当の教会の姿でしょう。

下に行くほど、偉く、人々に仕える者、しもべとなっている、謙虚である、これがリーダーです。
仕えてもらう者が、リーダーでは無い。

・地域教会とは?

地域教会(地方教会)は、その地域にある教会です。
一般の人が思う、教会のイメージです。
たいてい、建物を所有しています。
ない場合は、どこか場所を借りてやっていたり、だれかの家でやっていたりします。

地方教会の目的は、まず、信仰を高め合い、励まし、助け合うことです。
お互いの信徒(献身者も含む)の信仰の補助(サポート)です。

そして、もう1つの重要な側面が、伝道拠点としての役目です。

伝道という攻めの姿勢、
信仰補助という守りの役割を果たします。
この2つの光が、効果を発揮できて、地域教会という光を 灯台のように、その地に照らします。


・インターネット教会

ネット教会というのが出始めていますが、
正直、これは現実世界の地方教会ほどの事ができないのが現状です。
ケアに限界があります。
やはり、地元で、教会に通うか、または、自分で教会をするかして、
ケアできる教会を、増やしましょう!

たいてい献金を募集していれば、献金目的でやってたりします。
詐欺の可能性もあるので、気をつけてください。

ネット教会は、費用はほとんどかかりませんし、せいぜい自費でまかなえます。
献金は必要ないです。
そのくらいは、自分で主に捧げて運営できるくらいでないと、日本宣教は、全然進みません。

ネット上では、教職〜一般信徒クリスチャンが、HPやブログなど、いろいろ活動してますので、
キリスト教について、調べたい、知りたい事があれば、容易に調べられます。
SNSやブログなどで、気の合うクリスチャンの友人を探す事もできます。
なので、ネット上では、組織的な配下に入る必要もなく、
いろいろ必要な学びが、自分でできます。
そこが、利点でしょうね。

ネットの世界で、わざわざ上下関係を作る組織に入る必要性が無いです。

・地域教会の伝道

献身者、伝道者がいる場合、
その人たちが個人伝道で、
路傍伝道、訪問伝道、トラクト配布などを行えます。
ただ普通にやっただけでは、日本では怪しい人に見えるだけで、
効果が無いですから、知恵が必要です。

献身者による個人伝道以外では、教会員に協力をしてもらい
組織的にイベントなどを計画して、伝道する事が可能です。

教会員は、普段、仕事があるので、
学生や、子供にかかりきりでない主婦など、時間の都合が合う人達の協力は、得られやすいかと思います。
いろんなアイディアも、人数分募集できます。

フルタイムの献身者による伝道、
協力者たちによる団体伝道が、可能です。

その地域が伝道対象ですから、
地域に根ざした、開かれた教会であってほしいと思います。

もちろん、教会に訪れる人への伝道は、当然です。
しかし、それすら興味を失っている教会もあります。
防戦(サポートでいっぱいいっぱい)一方で、行き詰まっている教会ですね。


・地域教会の信仰サポート(補助)

1、礼拝
地域教会の魅力と言えば、礼拝のセッティングです。
すでに礼拝のプログラム・・流れが決まっており、
必要なものも揃っており、場所も用意されていて、行けばいいだけです。
礼拝がまず当然、大事です。

2、聖書の学び
洗礼を受けたばかりの人には、救いの教理から教えていると思います。
ただ、それで終わっていたり、その後は、けっこうバラバラだったり、
聖書ではない、どうでも良い学びをしたり、
同じ学びを形を変え、引用聖句を変えて、
ずっとしている教会もあります。

これでは、信徒は成長できません。
それぞれの信仰や賜物に合わせて、段階を踏んで、
その人が理解できる領域にどんどん導き入れ、
信仰の成長を促します。
そのためには、それを導く牧師、または教師自身が、まず成熟していないとできません。

礼拝と学びは、基本なので、一応、形だけでもやっている教会は多いです。
しかし、質を高めないといけません。

3、冠婚葬祭
いろいろとイベントがある時、祭儀を行う場所でもあります。
まぁ、場所は、式場とか自宅でやる場合もありますが、
祭儀を執り行ってくれる牧師がいるということ、
あとは、お墓の運営があったりする・・という所でしょう。
やはり、こういうイベントを行えるのが、地域教会の強みです。
ぶっちゃけ、クリスチャンは、全員が祭司だから、牧師が行わなくてもいいんですが、
日本の根付いてる宗教観だと、そういう神主っぽい存在を求めるのでしょう。

・配慮
礼拝に出れない人の配慮、サポートを忘れてはいけません。
日本は、日曜が仕事の会社も多いです。
電車、電気、水道、ガスも日曜、動いてます。

その人、一人ひとりに合ったサポートができると良いでしょう。
ただ、上から支配するのではなく、
信仰の必要を満たす、サポートをするのです。

学びは、信徒の賜物によって、さまざまなレベルがあります。
原語から学びたい人もいるし、歴史から聖書を学びたい人もいるし、
中には、全く興味がない人もいます。
けっこう幅広いです。
興味なくても、最低限の必要な学びは、その人に合わせていくと良いでしょう。
ニーズのある人や理解できる人は、どんどん理解していきます。

もちろん、すべてを学ぶ必要は無いでしょうが、
学びたい人もいるでしょう。
それぞれに合わせられると良いでしょう。

救いの意味自体、あまりわかってなかったり、
「自分は救われているのか確信ない」と言ったり、
自分で証ができない・・という、教会に通って長くて教師にもなってるような人が、
こんな状態であることをよく見かけます。
また聖書に反することを堂々言ったり、行ったりしているのを、
いろんな教会内で見かけました。

学びは、信仰の実践が伴うものに徐々に移行でき、
それぞれの賜物を発見して、気づいてあげたりして、
どんどん発展させれば、神様の栄光や臨在を濃厚に現すことができます。
複数、そのような人たちがいるのは、かなりすごい事になるでしょう。
しかし、現状、そのような教会は、まだ日本では、見聞きしておりません。
いろんな問題があるからです。

そのような問題点も、当HPで取り扱っていきたいです。





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