“祭”について思うこと

日本人は、祭好きです。
「祭」=日本人のスピリット、日本人の心とも言われる事があります。

それぞれ、祭の多様さがあり、
春夏秋冬のように、繊細な違があります。
それぞれに情緒ある、趣のあるお祭りで、地方独特のものもあります。


祭は、宗教行事です。
“霊の戦い”風に言えば、呪いを招いたり、
悪魔悪霊との契約をしている事になりますが、
それなら毎年、毎月やってるのだから、いったい何重の契約になってるのだろうか?!

それに比べ、真の神を知っているはずのクリスチャンは全然、祭をしないです。
それなら同じ時期に、その契約を打ち消し、
真の神に祝福を祈願する祭をしてはどうでしょうか。

祭は本来、神に捧げるものです。
神輿も、ルーツは「契約の箱」、
日本の祭り自体も、イスラエルから来ていると言われてます。
イスラエルの人から見ても、すごく似ているらしいです。
祭の時期に、そういうルーツの話をするのも良案ですね。

霊の戦いがどうでもいいという人もいるでしょう。
それを抜きに考えても、
クリスチャンの祈りや礼拝、祭より、
日本の異教のほうが真面目で熱心で、定期的にやっています

早朝から夜まで、日に何度も参拝してます。


・現状
教会の祭りの現状はどうでしょうか?

例えば、新年に「新年断食聖会」をやってる教会がありますが、
これは一般人は、来ずらいし、誘いにくいです。
しかも自分も断食をしないと、いけなくなります。教会がやってますから。
そうすると、家でご飯食べなくて、未信者の家族から
「ご馳走を用意したのに、新年から感じ悪い。ケンカ売ってるの?
新年から断食なんて、私はクリスチャンにはなりたくない」
と誤解を与えます。

日本情緒では、新年、心を新たに、家族や仲間と集まってお祝いし、
新しい希望に満ちて、夢を描いて話し合ったりします。

新年から断食したい気持ちもわかりますが、やはり、イエス様が言われたとおり、隠れてやりましょう。
垂れ幕飾って、「新年から断食!」とすると、
敷居がますます一般人から高くなってしまいます。

・教会としての祭
内側にこもる、身内同士の行事としてではなく、
地方教会ですから、その地域に、灯台のようになる使命があります。
もっと地元密着の、地元の人々、近所の人々が気軽に来れて、
交流が持てる場となりましょう。

新年は、「初詣礼拝」と題して3日間、一般人も招いて、礼拝してみてはどうでしょう?
教会でも初詣できます!」とアピールしましょう。
新年だからこそ、真の神様に礼拝をしましょう・・と。まさに真年です。
新来者を招いて、皆でお雑煮やお汁粉ふるまってお祝いしましょう。
「開かれた皇室」という言葉がありましたが、
「開かれた教会」になって欲しいです。

断食は、イエス様が十字架にかかられた日に記念して、
悔い改めや、かえりみるような日があるといいですね。

また、毎月、教会で何かイベントあると、伝道集会にもなるし、
在籍クリスチャンも飽きないでしょう。
月ごとにイベントで製作した作品等を壁などに飾れると、
お互いのタラントが発見できたり、話題にもなりますね。

どうぞ、主に祈って思いついて良いと思ったことを、
教会で、またはクリスチャン仲間で、または個人で、
実行してみてください。

旧約聖書では、いろいろお祭りがありました。
現在の教会も、聖書をより深く理解する体験として、行う教会も増えています。

なにをどんな風に行うかは、それぞれの教会の事情や地域で特色もありますから、
主に導かれて、主への地域的礼拝(祭り)、また伝道の機会として、
祭りがあると良いと思います。

祭りとは、地域的な礼拝が祭りです。
まさに教会向けではありませんか?!

ぜひ、その地域が祝福されるよう、地元の人たちを招いて、町内会を招いて、
主への祭りを捧げ、主の栄光、祝福がその地域に現れるように、
活動できると素晴らしいです。



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