子供たちの抱える問題
〜心が壊れる子供たち〜

【子供が抱える問題と環境】
現代は、家族の構成人数が少なく、
家庭での育児は、よほど恵まれている家庭でなければ、
ほとんど母親一人が行うのが現状です。

お爺ちゃんお婆ちゃんと同居している家庭は少ないし、
出産年齢も上がっているので、亡くなっていたり、
または介護に追われている人もいます。

離婚率も増え、また災害や事故などで親を亡くす子供たちもいます。

親がいても、家庭内暴力や家庭不和、虐待、貧困、育児放棄などもあったりします。

我が子を殺す親のニュースも増えています。
親の浮気相手によるいやがらせ、
ご近所問題からくるいじめもあります。

浮気相手が家にいると、家にも居場所の無い子供がいます。

家庭内でなくても、学校でのいじめ、先生や生徒によるものがあったりします。
体罰も問題になっています。
教会や教会学校にも、現実として、いじめがあります。
性的いたずらを教師からされたりもします。
それは、学校でも教会でもそうです。

実際に聞いた話では、私の友人が、小学3年くらいの女児から、
男性教師に性的いたずらをされているという相談を受けていました。

一般のニュースで、牧師が教会に通う子供にいたずらをした・・
というのがありました。

私が思うには、可能であれば、できるだけ男の子は男性教師、
女の子は女性教師が無難かもしれません。
無理な場合は、教師を1人にしない・・とか。

子供の抱える問題は、けっこう大きかったりします。
家庭の問題、学校の問題、教会の問題・・
教会が問題の場合は、牧師が良いクリスチャンであれば、
問題は解決しやすいでしょうが、
上記に書いたニュースのように、問題の発生源が牧師では
これも大きな問題で、容易に解決は難しいでしょう。

子供もどこかで問題を大きくしたくないと、思っている傾向があります。
自分の安定が守られなくなる、
これ以上、傷つきたくないと思うからです。

非行に走るか、おとなしく我慢するか、のどちらかです。
子供のわりには目が死んでいる、心を押し殺している、抑揚のない声、など、
なにかおかしく感じたら、
何かの問題を抱えて悩んでいるかも知れません。

問題自体に首を突っ込むのは、第三者、他人なので難しいです。
最低限できる事は、一緒に祈って、相談に乗ってあげて、
その子が行動できそうな事を提案してあげることでしょう。
その子が人生の道を外れて不幸にならないように、
聖書から正しさを教会学校で教えてあげられます。
また、正しい愛情を注いであげます。

家庭に問題がある場合、親に話しても逆にキレられ、
もう教会に送り出してくれなくなる可能性があります。
子供も、親が起こるので、「家庭の事で私が悩んでいると話してほしくない!」と
思ってたりします。
できる事と言えば、親を教会に誘ったり、
キリスト教に興味があるようなら、家庭礼拝したり・・くらいです。
家に居場所がなければ、教会が解放できれば教会に居ていいよと勧めます。

学校に問題がある場合、
教会学校の生徒がいれば、その子にサポートを頼むとか、できます。

教会で生徒のいじめがあれば、教師がきちんと見張る、
また教師が問題であれば、なんらかの対処ができるかと思います。
時間的に少なく、人目があるほうだと思いますので、
そういうこと自体、少ないと信じたいですが・・。
問題が深刻であれば、その教会に行かなければ大丈夫だと思います。

【児童相談所】

体にあざがあるなど、暴力を振るわれているのがわかったら、
児童相談所に通報することができます。

しかし、児童相談所の対応は、その子を確保して、親に事情を聞き、
すぐ返してしまうので、あまり意味がないかも知れません。
通報したことで、親に恨まれます。

私が願うのは、教会学校が子供のよりどころになって、
心の支えになってくれると良いなぁと思います。
もちろん、できるだけ若いうちに本当の神様に出会い、
信仰を培えるのは大前提ですが。

【私の日曜学校時代】

私自身も、家庭不和で悩み、
教会学校の先生に支えになってもらえました。

もちろん、教師はなにもできません。

常に聖書の御言葉から励ましてくれました。
泣いて、教会学校の担当教師に電話をかけた事もあります。

夜中に、また家を追い出された時も。
両親がケンカをしている時、ろうあ者の母に父が暴力を振るおうとするので、
私はいつも止めに入ってました。
止めなければ、いつか殺人事件が起こると思いましたから。

父は止められるのが気に食わなくて、「出て行け!」と私を無理やり引きずり出して、
家の外に放り投げる事がたびたびあります。
お小遣いは基本的にもらえないので、お金もないし、
子供で夜中では行くところがありません。
他の同級生は原宿に行ったり、洋服を買ったりしていて、
私はそういう事ができなかったので、
それが普通なのか?と思ったものでした。
好きな物が買えるというのは、社会に出て自分で働いてから・・でした。

近所にどこかのお店のガレージがあるのですが、
夜はガレージは閉まってますが、
犬小屋が横にあるので、たいてい、そこに居ました。
雨は少ししのげますから。

そんな時、少しお金を持っていた時に、教師に電話をかけた事があります。
少し沈黙した後、教師が優しく、
「・・・・・・家に帰れる?」と言いました。
それはとても頼りない言葉で、頼りない解決でした。
でも、現状それしかありません。

とても困難で厳しい道のような答えで、
一番聞きたくない、望んでない答えでした。
本当は、教師の家に泊めてもらい、もう家に帰らなくて良いというのが、
子供視点の理想でしょう。
しかし、そんな事は無理ですし、
可能であったとしても、一時しのぎで現実は変わりません。


私は嫌でも、この不幸な家庭に立ち向かうことになりました。
逃げることはできません。
自殺の道は、イエス様が封じてしまいましたので。

心を引き裂かれながら、毎日助けを求めて熱心にずっと1日中祈り続けました。
実際的な助けはなかったけれど、
毎日、深夜から始まる両親のケンカも、殺される勇気を持って、堂々止めに入りました。
そうすると、父が「ずいぶん偉くなったもんだ!子供のクセに止めるな!」と言います。
「子供だから、止めるんだ!」と私は言います。
言葉につまった父は私を殴ろうとします。
変化と言えば、私が堂々と言葉をいうので、父が言葉につまるようになりました。
そこで「やめなよ!」と姉が泣きながら叫びます。

姉はいつも両親のケンカが怖くて、奥の部屋から出てきません。
姉がケンカを止めているのを見たことがありません。
いつも私一人で、小学校の2、3年くらいの時から、
ケンカの声が始まると、飛び起きて止めに入ってました。

なので、私が両親のケンカを止めている時に、
姉がたまに止めに入るようになったのも変化かもしれません。

ケンカの回数は減っていったと思います。
長くなりますので、別の機会に書きます。


教会学校の教師は、問題を解決する事は難しく、
他人の家庭だし、できない事が多いけれど、
信仰を励まして、心を支えることはできます。
神へと結びつけ、強くする、それはとても重要なことだと思います。

「いらない子」「死ね」という、
親や環境からかけられた呪いを打ち砕き、
聖書の神様の言葉を伝える・・
そういう事はできます。

神様がいてくれるなら、その子はいくらでも強くなれます。
周りが冷たくても、神様という灯火の中で、暖まることができます。

 



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