〜 死の恐怖 〜

「死が怖い」と、正常な人であれば、たいていの人は思います。
精神的痛みや高揚、異常を伴っていたり、または、無知な場合は、
怖いとは思わないでしょう。

なぜ、死が怖いか?というと、下記の3つが予測されます。

1、 死後の世界への不安、精神的な恐怖
2、やり残し、未練
3、肉体の痛み



1、 死後の世界への不安

「死んだら、地獄に行く」「行くかもしれない」、
という思想が、日本人には植えつけられています。

私も幼い頃に、そんな話をどこからか聞かされたものです。
地獄の絵本が大ヒットしているそうですが、
あの絵のような、おどろおどろしい光景や拷問、
嘘つきは舌を抜かれる・・とか、閻魔大王が裁きを言いつける・・といった話です。
反面、どうやったら天国に行けるのか?という話は聞いたことがありません。
念仏か何かを唱えれば、極楽へ行ける・・みたいなのを社会科授業で習いましたが、
とてもじゃないけど、そんな気しない・・。

死んだらどうなるの?、どこに行くの?という疑問に、
知識的にというより、具体的(リアル)に精神的に(霊的に)納得のいく答えがなければ、
不安であるのは当たり前です。

・精神的恐怖・・・神の平安

精神的恐怖は、「私、地獄に行くかもしれない」というものが多いです。
あの、おどろおどろしい話が自分に降りかかるのか?という事です。

キリスト教でも確かに「天国か地獄か」と言われています。
人は死んだら、神の御座の前で裁きを受け、「天国か地獄か」に行くということです。

しかし、神様は人間を地獄に送りたくないです。
地獄はもともと悪魔と、悪魔に従う悪霊どもを罰するために用意した場所です。
悪魔・悪霊に従う者たちが入る場所です。
逆に天国は、神を知り、神様を愛している人たちに用意された場所です。
このどちらかで死んだ後、永遠に過ごします。

罪があると、裁かれ、地獄に行くと言われていますが、
その罪を取り除くために、神様は犠牲を払ってくださいました。
それがイエス・キリスト(救い主)です。
救い主と言われるのは、このためです。
罪があると、神を知ることができない、
もちろん、地獄やら、生きている時でさえ、罪の結果を刈り取ることもある。
主なる神様は、それらすべてからの救いの道を提示されました。

死後の世界が怖ければ、ぜひ、この機会にイエス様による罪のゆるしを受け入れて、
本物の神様と和解し、神とともに生きて、体の死後は天国に召して頂きましょう。


ご臨終寸前にイエス様を受け入れて、安心して、にこやかに亡くなられる・・と
いう話を聞きますが、神様から与えられる平安によるものです。


・神への信仰があるのに、恐れがある場合
賛美のCDを流してみてください。
私がお勧めするのは、神の臨在感が現れている初期「リビングプレイズ」の1〜5です。
病床の人や恐れのある人、精神の病の人にもオススメです。
臨在のある、美しいピアノ伴奏と確信のある賛美、優しい声のショートメッセージがあります。

入院している人や外出できない場合は、知り合いのクリスチャン、
またはネットで知り合ったクリスチャンに頼んでみてください。
いのちのことば社のネットショップでも売っています。
「リビングプレイズ」で検索すると出てきます。

声がない、クラシック調の曲だけが良い場合は、
ミクタムのユーオーディアがお勧めです。
病院など静かな場所の場合、こっちのほうがいいかも。
一般のヒーリング曲より、すごく美しい旋律で癒され、落ち着きます。
神様の臨在感を感じる曲、演奏です。
プレゼントにも最適です。


2、やり残し、未練

死が近くて時間がない場合、「あれをやりたかった」等はキリがありませんので、諦めて受け入れます。

それ以外で多いのは、
・身の回りの整理をしたい
・周りの人たちに感謝を伝えたい、至らなかった事や無作法を謝罪、懺悔したい

(健康な時には、気にもとめないような事が、急に気にかかるようになります。)

・・と思うようになったりします。

イザヤ38:1
そのころヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。
アモツの子預言者イザヤは彼のところに来て言った、
「主はこう仰せられます、あなたの家を整えておきなさい。
あなたは死にます、生きながらえることはできません」。  

聖書で、預言者が余命宣告した事が書かれていますが、
(結局、ヒゼキヤ王の涙の祈りで寿命が15年のびました。)
余生宣告があるのは、身の回りの整理ができるので、ありがたいです。

もし間に合わないような場合でも、身の回りの整理は誰かがなんとかしてくれますし、
周囲への伝えたかった言いたい事も、汲み取ってくれるでしょう。

遺言がある場合は、生きてるうちに準備したほうが良いです。

荷物は、普段からそんなに持ってなければ楽なので、私はできるだけ持たないようにしようと思っています。
感謝や懺悔は生きてるうちに、その都度にできるように、心がけるとスッキリしますので、
できれば、できるうちに習慣にしましょう。

死が近づいて、その人に言えなければ、神様に言ってみましょう。
「○○さんが本当に親切にしてくれて嬉しかった。感謝を伝えられないのが残念です。
また、△○さんには悪い事をして、謝れなかった。
主よ、本当にごめんなさい。どうか代わりにお伝えください。」と。


3、肉体的苦痛

体の死は、肉体の活動停止なので、物理的な苦しみや痛みがあるのは仕方のないこと、
自然な事です。

ただ、年をとっていくと、体力も衰えますので、その分、少しは痛覚が若い時の敏感さよりかは、
マシかも。といっても、痛いものは痛いでしょう。
「どうせ死ぬならガンがいい」という本を読みましたが、
それによると、死ぬ前の痛みは治療をしたり、手術をするから痛いんだ・・と書かれていました。
手術で切り取ったりするから、それが傷んで苦しい・・とか、
むりやり延命するから苦しむんだ・・そうです。
話題の本ですので、読むといろいろ参考になると思います。
私は、夫の父が亡くなる前に読んでおきたかったです。

逆に、ラクな死に方があるのだろうか?
ラクな死に方は無いでしょう。

一番痛みが少なそうな死に方は「老衰」だと言われています。
だんだんと体の機能が低下して食べなくなり、最後は眠るように死ぬらしいです。
夫のおばあちゃんが2013年に亡くなりましたが、理想と言われる大往生と言われる死に方ですね。
ボケも少し入ってましたが、自宅でだんだん歩けなくなり、介護状態になり、
寝たきりでだんだん食べなくなり、医者の指示で水も与えなくなり、
苦しまずに安らかに亡くなりました。

老衰が一番理想ですが、しかし老衰で亡くなる人は少ないです。(ほとんど病死)
年を取って病気になるのは、体の機能が落ちている事なので、老衰とも言われています。


安楽死というのがありますが、日本だと、明らかに体がもう生きられない、激痛しかない・・という時に、
消極的に医師によって行われる事があるようですが、まれでしょうね。
私の夫の父は、入退院をくり返し、チューブだらけで手足をベットに縛り付けられ、
食事も長いこと取れず、口は紫でガサガサでした。
苦痛だけを長引かせる延命治療は良い事なのか?と考えてしまいました。
結局、亡くなってしまいましたが・・。
状況は、本人が痛がって医療チューブを引っ張ってしまうことが多く、
ほとんど正気でなく、家族も理解できない意味不明な事を口走っているほどでした。
耐え難い痛みが長時間続くと、気がおかしくなりますから。

他に、自殺といっても、基本、痛いでしょうし、失敗したら、かなりの不快感、激痛です。
薬でという人もいますが、薬も効かなければ苦しいし、
効いたとしても完全に意識がなくなるわけではないようですから、
結局、苦しいらしいです。

人って、死ねるようで、なかなか死ねない・・という面もあります。
逆に、些細な事だと思われている事で死ぬ場合もあったり、
なんとも不思議です。

生死は神の領域であります。
生きる死ぬという最終的寿命は、いのちを造られた神様が決めておられることでしょう。
物理的に自ら(または他人から)死ぬ、というのは、無いほうが理想ですよね。


・肉体の死は、神への信頼で備えよう!

死ぬとき、だれでも苦痛が避けられないとすると、
精神的平安で備えるしかないです。

信仰の迫害が厳しい時、殉教するクリスチャンが多くあったと聞いていますが、
彼らは信仰によって、神から来る平安や確信、守りがあり、
どんな死に方であろうと、苦痛が昇華する、信仰になる・・という、
神への信仰、期待があったのでしょう。

多くの人の言う「死」は、肉体の死を意味しますが、キリスト教では
霊魂は永遠なので、その人が本当に死ぬ、存在が無くなるということはありません。

天国への希望を持って、神のご臨在のもと、召されたいものです。
平安な精神状態での、肉体の死が最高なのではないでしょうか。



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