・リバイバルという言葉


キリスト教内で、よく「リバイバル」って言葉を聞いたりすることがあると思います。

個人の信仰が深くなったり、
または、多くのクリスチャンの信仰が深くなったり、
神の超自然的な御業がたくさん現れたり、
または人々がたくさん救われたり、

・・個人レベルから大規模まで、さまざまな事をさしてたりします。
人によって、上記のニュアンスのどれか・・です。
いろんな意味合いがあったりします。

中には「リバイバル、リバイバルって言うんじゃない!
他人が大勢救われるよりも、
まずは個人の信仰をちゃんとすることだ」と言う人もいます。
ただ、それを含めて、「リバイバル」という人もいます。


「リバイバル・アレルギー」

昔、2000年までに日本でリバイバル・・という運動がありました。
その時から、日本のリバイバル・・って言葉が使われ始めたと思います。
この運動をよく思ってない人たちが、「リバイバル、リバイバルって言うんじゃない」って言う傾向のようです。
2000年までに達成しなかったから、期待が大きかった人たちは怒ったのでしょう。

その時の雰囲気や働きが無駄であったのか?と言うと、そうでもないと思います。
現に、その時くらい(2000年になる前)の賛美は、
リバイバルしてた(←ここでは、発展してたの意味)と思います。
その時期の賛美は、今聞いても臨在感があります。
リビングプレイズの1-10とか、ミクタム全盛期、ノアとか・・。

私は、教会の牧師につまずいた時期でしたので、それどころじゃなく、
ちょっとそのあたりのキリスト教界内情の様子がわからないです・・。
居なくて体験してないから・・。
自分の最初の教会の、こんなひどい牧師が協力してるビジョンなんか
成るわけない!って思ってました。

後で、他のクリスチャンたちからその時のキリスト教界の様子や出来事を
教えてもらいました。
賛美は、だいぶ様子が変わって、バンド主体になって、大音量でびっくりです。(笑)
いろんな教会を見ましたが、賛美は臨在が薄いか、全く無くなっているような印象を受けました。

でも、もし、その場にいたら、リバイバルという言葉につまずいてたかも知れないなぁと思いつつ・・・。
つまずいてて、離れててよかったのかも。
どっちにしても大変そうです。

あとは、その後に、パフォーマンス的に、
何年までにリバイバルが起きる!という、
たいてい外人さんが預言として言って、
でも、日本全体でのリバイバルは、現状まだ起きなくて、
その繰り返し・・・ですね。

・・・ということで、中には、そういう言葉が失望やトラウマになっているクリスチャンたちがいたりするので、
使う時は、注意がいるかも・・・という話でした。



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