・クリスチャンの服装

服装のこと・・というと、とてもうるさく聞こえてしまうかも知れない。
私もどちらかと言うと、人にとやかく言われたくないタイプなので。

ただ、そういう意味合いではなく、
別の、利点としての面を、お分かちしたいと思います。

基本的に、服装がハデや虚飾になりがちなのは、女性の特性かも知れない。
パウロがファッションについて、こう言っています。

1テモテ2:9-10
また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、
髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。
むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。

今の時代は、昔よりももっと手軽にいろんな、奇抜なファッションができます。
伝道やパフォーマンスであれば、奇抜なほうが目を引き、
宣伝という意味では、アリだと思います。

・地味な服装
ただ、基本的、日常的にクリスチャンがなぜ、地味なほうがいいか?という事です。
実は、心の傷んだ人、病気の人や本当に助けを求めている人って、
地味な人のほうが話しかけやすいし、接しやすいです。


なにかを頼む時って、自然と無意識に地味なほうの人に行く人が多いです。

地味な人は、性格が良く見えて、
派手だと、気が強そうで助けてくれない・・という外見、服装からのイメージがあります。

あなたも、もし病気で弱ってたり、年を取って老人になって助けを求める時、
派手な人はうるさくて怖そう・・と思って、
どちらかというと地味で落ち着いている人のほうに、声をかけると思いませんか?

カウンセリングなどでも、相手の先生が派手だと抵抗を感じるでしょう。

派手な服装
まず、オシャレって、ちょっと気持ちが高ぶったりします。
他人と比較して、「あの子はダメ、あの子よりはマシ」と、
他人を見下げる性質、態度が作られます。比較が入ります。

ある時、大学生の女性が教会で撮った写真を見て
「うわー!!!私、メイクしてないから、黄色い!!!」と、いきなり絶叫してました。
日本人だから肌が黄色いのは普通で、逆に顔だけ白いのもおかしな話ですが・・。
周囲にはわからないだれかとの比較が、
彼女の中にあって、「こうでなければいけない」という強迫観念があるのでしょう。
これでは、ノイローゼになっているのか、そのうちなってしまいます。

自分を否定する過度なメイクやファッションは、精神的に病んでしまいます。
それで、人生や人格がおかしな風に変わって破滅することもあります。
自信の基準がズレたり、崩れてしまうと、華美な物に振り回されやすく、
そういうのを提供してくれる方へと流れ、破滅します。

例えば、男性が華美を提供してくれたり、そういう気分、気持ちにさせてくれる場合、
男性依存になり、人格が破綻し、相手の言いなりで自分が破滅することがあります。
相手が良い人であれば良いのでしょうが・・。
あと、整形に走る人もいますが、失敗のほうが多いです。
ネットで被害者のブログなど、いろいろ見かけるはずです。
それで自殺した人もいます。

要するに、しっかり自分で立たないといけない、という事です。
安易に気持ちの良いものに身を任さないという事です。
オイシイ話は、たいてい罠です。欠陥があります。

「負けるが勝ち」という事で、クリスチャンなら、負けてあげてもいいのでは?と思います。
「オシャレじゃない」と言われても、「そうね、結婚資金とか住宅購入費用のために貯金したいのよ」とか、
堅実的に答えることもできるし、
「興味ない」と言ってもいいのかも。

例えば、綺麗な服装を着て良く見せても、
それは、イミテーションで、自分自身の魅力ではなく、別の物の魅力です。
それで自分が良くなったわけではなく、偽物の魅力です。
外面が良くても、内面がいつも他人と比べて、誰かを蹴落としているようなら、
クリスチャンとして、マズイわけです。
逆ザアカイです。

外面で「綺麗」と言われるより、
内面で「良い人」と言われる方が、はるかに価値があります。
年を取れば、だれでもこの世の基準の「綺麗」ではなくなり、
綺麗なものが似合わなくなります。
とすると、その「綺麗なもの」は、やがて捨てるものです。ゴミです
最初から買わなければ、地球環境に優しいです。
そんな物よりも、時間やお金、気持ち、力を、神の御国で富める者となるように
費やしたほうが良いわけです。
この世で一時的に、あなたのプライドを満たすのか?、
神様の前に、真に富める者となるのか?です。

1サムエル16:7
しかし主はサムエルに言われた、
「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。
わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。 

派手さ、虚飾は、
お金がかかる、時間がかかる、精神的圧迫・・高慢になる、
という面があります。

そういうのに陥らずに、うまく使う分にはいいかも知れません。
ただ、クリスチャンは伝道したり、だれかの相談にのったり、
親切にしてあげたり、助けてあげたりすることが、多いです。
または、そういう風に誰かを助けるのに
用いられたい・・と思うなら、
相手の心理面として、地味なほうが
安心できる、リラックスできる・・という事です。

日常面では、自分に似合うもので、そんなに飾り立てずに、
できるだけ、自分なりに地味にした、
そのくらいが良いと思います。
自分に似合わない格好という意味でなく・・。
顔色が悪いのを隠したい場合に、アクセサリーをつけて
視線が顔に集中しないように・・というのもアリだと思います。

伝道などで作戦があるなら別ですが、
基本的には、外面、華美に頼らず、主に頼るのがクリスチャンの生き方です。
虚飾に頼る・・というと、ある意味、主に頼らずに偶像崇拝的になってしまいます。



「パーマやヘアカラーは良いのか?」と、聞かれることがあります。
クリスチャンだと、派手は髪型にしちゃいけない・・みたいな風に言われた・・など。

クリスチャンだから、規律が・・という以前の問題で、
ネットで「ヘアカラー 有害」「パーマ 有害」と検索してみてください。
そうすると、人体に有害だという記事がけっこう出てきます。

腎臓に悪いとか、妊娠の羊水に影響が出るとか、いろいろありますが、
専門家ではないので、どうなんでしょう。
でも、髪の痛みは激しいそうだし、体に良さそうではない気はします。

それで、最近はヘアカラーやパーマをやめている人が増えているようです。
なんとなく、黒髪の人をよく見かけるようになった気がしてましたが、
これが原因なんでしょうかね。

神様が、有害なものを使って欲しいと思うでしょうか?
まぁ、自己責任ですね。聖書は刈り取りの法則ですから・・。
やりすぎてはげたり、痛んだりして、一生後悔する人もいるそうです。
他人は、しょせん他人なので、気楽に勧めるでしょう。
ただ、その勧めた人は責任取れないですよ、美容師もです。

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