★祝福の聖句

祝福の聖句というのをまとめています。
MP3でも、youtubeでもアップしていますので、必要な方は、ご利用ください。

これは、聖書にどんな祝福があるか?、祝福された人物の気質、態度などを、まとめてみたものです。
ルツ記は、短いですが、意外と、祝福にあふれた巻です。
人々がお互い祝福し会っているのです!
現在では嫁姑問題があったりしますが、ルツ記は、・・・嫁姑の祝福を求める。
職場(働いてきた所)の祝福を求める。上司と部下が祝福し合う。

新約の手紙などは「〜あるように」ですが、私は、これは、日本語だと弱い意味合いになっていると思います。
使徒が「あるように」と弱々しい祈りや祝福をするはずがない!
天地創造のように、「光よ!あれ!」のように、「祝福があれ」だと思っています。
原文だと、「あるように」という曖昧な単語は無いです。
もっとシンプルで、「あなたに、祝福。」だけだったりします。
どんな祝福があり、キリスト者に約束されているのか?を認識できます。

特に、マイナスイメージや否定的な思いの束縛に悩む方々は、
手っ取り早い方法として、これを毎日流して、良いものを入れて、変わりましょう!





・祝福する人と呪う人

教会は意外と呪いで満ちているっ?!

クリスチャン、教会は、人々を祝福すべき存在であって、呪う存在ではありません。
相手の信仰を立て上げます。
人によっては、よちよち歩きなど、段階があります。
優しく手を取って1ぽ1ぽ歩けるようにしてあげましょう。

教会で衝突が起きた場合、たとえば、日曜礼拝を休んだ、意見が違ったという時に、何と言いますか?
相手の人格や信仰を否定しませんか?
「だから、あなたはできない」など、関係ない領域までも、
挙句の果てには、人生を終わりにして、「もう救われない。悲惨な人生でした」と指導者が言ったりします。
先走った裁きはしてはいけないし、
取税人とパリサイ人のたとえのように、大丈夫だと思っているほうが、実は危ないし、
神しかわからない事です。
神だけがそう言う判決を下す権利があります。

教会は信仰を助け合うこと、それぞれ境遇や環境などが違うのだから、
呪いの言葉を言うのではなく、祝福する姿勢を身に付けましょう!



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