★ 動の信仰

無人島で一人で暮らせるか?という質問がよくあって、
クリスチャンだと、喜んで、そうしたくなるかも知れません。
なぜなら、他人がいないので、罪を犯しにくく、神と自分だけの関係で済むからです!(笑)

逆に、世間と関わりながら生きているほうが、実は、難しいのです!

こちらは、動の信仰・・現す信仰になります。

こうなると、その人の静の部分、・・土台の部分が、かなり問われます。
静の部分で養ったものしか、現せないからです。

表せてこその信仰で、神様に栄光を帰せます。
「栄光を帰す」という言葉が安易に遣われていますが、
その前に「栄光」が現れていないといけません。
それは「栄光」といえるほどのものですか?
神の栄光にふさわしいですか?
大きければ、大きいほど、私たちの神への称賛、賛美は大きなものとなり、
大きな栄光を現したことになります。


・人前で表す信仰・・四つ角に立つパリサイ人が偉いと思う。

聖書だと、よく「パリサイ人に気をつけろ。見せかけだけだから」とありますね。
それで、現代の教会でも、表面だけの信仰に気をつけろ、と言うのを聞いたことがあります。

ただ、私は思う。「現代のクリスチャンって、それ以下なんじゃないか?」と。

えっと、じゃあ、パリサイ人と同じ風にやってみてください。
かなり度胸が入りますよ?証しの力ですね。
ちょっと町に立って、皆に見えるように、毎日、祈ってみてください。
これができると、そうとう、信仰の度胸がありますね。

どれだけ、人前で信仰を表すことができますか?

逆に、これが足りないんじゃないか?と思います。
人前で、信仰深い姿・・できます?
これができると、見せかけでなければ、証しの力になるはずです。




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